自分のエゴ<相手のエゴ?!
ここ数週間、「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいていた。
そして、相手の強烈なエゴが出たときは、たとえ自分が気分を害しても我慢し、戦わず受け流すと、相手のエゴが小さくなるように感じていた。
しかしよく考えてみると、「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいている時点で、優越をつけている(判断している、戦っている)ことになるのではないか?それこそエゴなのではないか??
自分の中にエゴが潜んでいる限り、相手の強烈なエゴとなって現れ続けるのかもしれない。
また、気分を害した際、我慢せずに自分の気持ちをぶつけてみると、相手はエゴから生じた言動ではなかったと気づくことがある。
これも「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいているからではないか? 相手のエゴから出ている言動という認知を自動的にしてしまっているようだ。
相手のエゴ、つまり自分のエゴは、どんな心理の時に出るかを観察することで、自分の中にあるエゴを炙り出して、関係性を断つことができるのかもしれない。
そして、エゴとの関係を断つ感覚をつかんでる状態でLayのサービスを提供すると、クライアントによりメッセージが伝わりやすくなり、本質的なサポートができるのかもしれないと思う。