批判をやめると自分が見えてくる
「帰任後、新商品(他社製品・技術提携して内製化)の販売プロジェクトを任された。」と、Yさんはまんざらでもなさそうに言う。
よくよく話を聞くと、誰にもプランや戦略はなく、またその事を課題だとも感じていない。根性論や感情論の非建設的、非創造的なやりとりが繰り広げられている。市場の状況や、私が17年間勤務して感じたトップの姿勢や組織風土から判断しても、正直、成功イメージは思い浮かばない。私ならやらない。意味が分からないから。
自己不確実性や集団アイデンティティが、彼を”まんざらでもない”この思考や行動に陥れているのだろう。「自分とは何者か?」を哲学的に追い求めるのではなく、やるべきことが明確になっている状態を作るために、指示されたことを行う。既得権益のある集団の一員でいることで、自分が何者なのか、他社からどう評価されるかも明確になる。
これでYさんへの批判の気持ちはなくなったのだが、今日Nさんとビジネスとデータ分析のディスカッションをしていて、ふと気づいたことがある。
私がやるかならないかは別として、成功イメージが沸かない理由は分かるが、どうやったら成功できるかははっきりとは分からない。Yさんのプロジェクトをどうするか?と言うことではなく、T社以外にも共通した課題だと思うため、心理的な要因だけでなく経済学や経営学の側面からも考えていくことには、意味があるように思う。