違和感と孤独を振り返るBlog

いわゆる「一般社会」「周囲の環境」に自分を合わせ込んで40年。3年前のメンターとの出会いをきっかけに、ずっと奥にしまって分からなくなっていた自分の感覚や感情を少しずつ取り戻し始めました。幼少期から現在に至るまでに感じた「違和感」と「孤独」を綴るBlog。過去を再認知していくこの行為を通じて、私の体験や内なる感覚を言語化していきます。

あなた(エゴ)は私じゃない、あなた(周囲の人間)のエゴもあなた(周囲の人間)じゃない?!

U社のECサイト(カスタマイズ機能あり)開発が遅れに遅れており、リリースの予定すら立たない状況が続いている。

 

先週末に簡易版(カスタマイズ機能なし)ECサイトを先行オープンさせることになり、一週間で準備をすることに。しかしWebディレクションやレイアウト・デザイン、ライティング担当不在のため全体像やアクションプランも不透明な状況となった。

 

(おそらく他社から受託している業務も含めて)作業負荷が限界に近づいているように見えるシステム開発者Tさんが、自分の領域を切り出し、あいまい領域は、もともと3名しかいない残りのメンバーである創業者Gさんと私にすべて投げ始めた。と言ってもGさんには対応が難しい内容ばかりで、実質全て私に投げていることになる。

 

皆それぞれに仕事があり、限られたメンバーで工夫して全てを回していくことが求められるスタートアップ企業において、その仕事の進め方に納得がいかない私は、正直怒りを覚えた。

 

ただ、研プロの経験からも、まずなぜ自分がいまこの仕事をしているのか(運命だから)を思い出し、損得を考えずに自分にできることは行動すると、そこから一気に事が流れ始めて前に進むことは分かっていた。

 

怒りの感情との葛藤に苦しんだが、投げられた仕事を私が対応したところ、一気に流れ始めて前に進み始めた。

 

今日の夕刻、メンターとの対話を通じて気づいたことは、私の怒りの理由は、私がTさんのことをその役割(システム開発・スタートアップ企業の立ち上げメンバー)とで見てたからだ、ということ。Tさんのエゴ(仕事を投げる)はその人じゃない、そのエゴに自分のエゴ(怒り)をぶつけることは、共同体・万人の共有物としてのエゴに餌を与えるような行為なのかもしれないということである。頑張ってなんとか自分のエゴをぶつけないようにすることができたから、本質的な部分でみんなが繋がったのかもしれない。