どんどん変化する記憶
このBlogを描き始めたつい5日前の時点では幼少期に感じた違和感を思い出していたので順次綴っていくつもりだったが、この数日で思い出せなくなっていたり、思い出しても気にならなくなってきている。
覚えているものを少し綴ってみる。
小学校や中学校の頃、体育祭でチームが負けたとき、部活動で他校に破れたとき、神妙な面持ちを携えるべきである、特に女子は泣くべきであるという常識、お葬式では笑ってはいけないという常識、みんなが笑うときは一緒に笑べきであるという常識、みんなと同じように感じて振る舞わなくてならないことに、違和感や居心地の悪さを感じていた。
もっと言えば、ある種の怒りに近い感情も持っていた。
何に怒っていたのか?周囲のみんなが常識的に生きていること?多分違う。当時から私はその違和感を周囲に尋ねることが少なくなかったが、ほぼ全員に受け流されたことだと思う。まるで私に尋ねられたことなどなかったかのように。
と、ここまで綴ってみたが、怒りの感覚が遠のいている。
今興味深いのは、なぜ私は30年間、いつも基本的に怒っていたのか?ということである。
これについては、日々の暮らしの中で観察して行きたい。