岡本夏木著「幼児期」より。
「しつけと知的発達」
生きる原型としての自己の実現と他者との関与の統合ということを機軸として、愛することの両義性、自己と他者の要求の対立葛藤の解決、行為主体としての自我、非合理性への耐忍性、誇りと自尊心、倫理的感情、人間かんと生活感など、人間としての発達に必須の基盤が「しつけ」を通じて子供の中に形成される(p60)
昨日肩こりマッサージのために初めて訪れた整体院にて。担当してくれた20代後半と見える整体師さん(Aさんとする)の会話から感じた違和感。
・高校からの「友人」たちに対して「ざまぁみろ」
Aさんは高校からの友人たちと仲が良く未だによく飲みに行くという。友人たちは4年生大学に進学したが、Aさんは3年制の専門学校を卒業したため、友人たちより1年早く社会人になった。社会人1年目の頃、友人たちは大学生のノリで翌日仕事があるAさんをしょっちゅう明け方まで飲みに連れ回したという。Aさんはそんな体力的にしんどい生活を1年間送り、2年目になった頃友人たちは社会人1年目。自分がどんなにしんどい思いをしたか味合わせようと、自分がされたことと同じことを彼らに強いたという。彼らは仕事を遅刻したりミスをしたりするようになり、上司や先輩に怒られたそう。Aさんはそんな彼らの姿を見て「ざまぁみろ」と思ったそう。
・「楽しいことをするためには我慢するのが当たり前」
Aさん曰く、人生の楽しみは「週末に飲みに行くことと遊びに行くこと。その楽しみを得るために、毎日つまらない仕事を続けなくてはならないのは仕方がないし、当たり前。」と言う。
なぜお互いにしんどい思いをさせ合い続けるのか?「友人」の定義、他者との関わりの意義は何か?
なぜ仕事は我慢なのか?、週末のために我慢して痛みを感じないようにして過ごす平日は長すぎないか?
Aさんがそう考えるようになった理由には、Aさん自身の「しつけと知的発達」が不適切で不十分だったり、友人たちもまた同様であったり、そんな社会の中で形成された考えなのかもしれない。