「倫理的感情」ー幼児期より
岡本夏木著「幼児期ー子どもは世界をどうつかむか」I章なぜ「しつけ」か?から抜粋。
相手はたとえ非合理であり、非論理的であっても、自分はそれにたえながらなおかつ正しさを追求し、悪への同調を拒否してゆくのが人間としての生き方の基本。(p54)
非合理性の積極的効果もそれが愛情で結ばれた好きな人との信頼関係の中では働くことが前提(p56)
しつけの糸を外すとは、賞罰とは切り離し、「正しいことは正しいゆえにする」、「悪いことは悪いがゆえにしない」という態度を実践的に身につけてゆくこと(p55)
非合理性を支えているのは子どもの持つ自己についての誇りであり、自己の力への信頼(p55)
しつけの成立は、子どもが自分を親に「同一化(同一視)」することによると言われていますが、それは「完全な模範」としての親よりも、自らも「欠点」や「弱さ」を抱えながら少しでも正しく生きようと「努力」している親の姿に同一化することによる(p57)
私はほんの数年前まで、家族を捨てた母親から「子ども産まないの?大変だけど産んでみればなんとかなるよ。」と言われる際、すごく腹立たしい思いをしていたのを思い出す。「なんとかなるって、自分は私たちを捨てて出て行ったでしょ。なんとかしたのは私たちでしょ。」と。私は当時なぜそんな風に思ってしまったのか、不思議。
また、3年前にメンターに出会い、私の認知や思考、そこから生まれる行動について指摘を受けるたび、「自分だってできていないのになんで私にばかり言うの?」と納得できずにいた。その度にメンターは「自分ができていないことを指摘してはいけないなんてことは絶対ない。」と断言していた。同時はその意味を理解できずにいたが、今はなぜ理解できなかったのか思い出せないほど。
「非合理性を支えているのは子どもの持つ自己についての誇りであり、自己の力への信頼」、おそらく「無償の愛」と同義ではないか、そんな気がしているが、つい最近まで私にはそれが欠如していたのであろう。
今もまだ修行中だが、ここ最近の日々の気づきはとても多い。