自分のエゴ<相手のエゴ?!
ここ数週間、「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいていた。
そして、相手の強烈なエゴが出たときは、たとえ自分が気分を害しても我慢し、戦わず受け流すと、相手のエゴが小さくなるように感じていた。
しかしよく考えてみると、「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいている時点で、優越をつけている(判断している、戦っている)ことになるのではないか?それこそエゴなのではないか??
自分の中にエゴが潜んでいる限り、相手の強烈なエゴとなって現れ続けるのかもしれない。
また、気分を害した際、我慢せずに自分の気持ちをぶつけてみると、相手はエゴから生じた言動ではなかったと気づくことがある。
これも「自分にもエゴはあるが、相手のエゴの方がすごい。」という前提をおいているからではないか? 相手のエゴから出ている言動という認知を自動的にしてしまっているようだ。
相手のエゴ、つまり自分のエゴは、どんな心理の時に出るかを観察することで、自分の中にあるエゴを炙り出して、関係性を断つことができるのかもしれない。
そして、エゴとの関係を断つ感覚をつかんでる状態でLayのサービスを提供すると、クライアントによりメッセージが伝わりやすくなり、本質的なサポートができるのかもしれないと思う。
Layサービスにおける増強案
①自分の内側を見つめて感情や直感を感じること
②意識の自由意志を持つこと
③現代社会の仕組み・既に存在している多様なニーズを知ること
これらは、「社会性を持って自分らしく生きるために」に重要なこと。
①については、現状のLayのサービスを通じて、クライアントが変化していることから、サービスとして提供できているように感じる。
しかし、②は環境や思考のクセなどから、③は受けて来た教育や世の中の一般的な常識から、理解・習得が困難な状況である。
Layのサービスとして今後、増強したいのは②と③。
実際に動き出して継続する(例:週末起業や副業など)ところまでサポートできたら、「やりたいこと、得意を活かして働くことができる社会」の実現に近づくかもしれない。
流れとしては、下記をイメージ。表層的に取り組むのでなく、心の深いところで取り組むサポートをする。
1)クライアントが現在不満に感じていることを捉えなおす。全ては必要必然であり、生まれ持った役割があることを知ってもらう。
2)そこにいることを受け入れる。
3)外側を変えてもコントロールすることはできないので、結局思い描く未来は実現しない。内側を変えることで自由意志を手に入れ、物の見方を変えることで全てが瞬時に変わる。
訴求方法は、「ストレート・シンプル・不満(弱さ)をサポートする」を心がけると、伝わりやすいのではないか?
「あなたがどうであろうとも、私はあなたを支持します。」
「あなたがどうであろうとも、私はあなたを支持します。」
メンターからアイディアが出た、Layのサービスのキャッチコピー。
「本当は気にかけて欲しいのに、ストレートに言えない。」という自身の思いから思いついたそう。
メンターの周囲にも、このような状態にあると見受けられる人も少なくないと言う。
最近は少しずつ消えてきたが、私自身も小学生くらいから社会人になって何年か経っても、「本当は気にかけて欲しいのに、ストレートに言えない。」という状態にあり、フラストレーションやストレスを感じていた。
メンター曰く、そう言う人たちに、「 ”大丈夫!みんな、あなたのことを気にかけている。” と言う雰囲気を出したら感じるんだと思う。」と。その通りかもしれない。
「愛情の欠如」に起因する状態のようであるが、エゴではない愛情は、多すぎることはないと思うので、愛情が足りている人にとっても必要とされる存在・サービスとなるかもしれない。
人の愛情、もしくはもっと大きな愛情を感じて安らぎ、素直に自分の感情や運命に向き合えるかもしれない。
「運命を感じていろんなことを感謝を持って受け入れること」と、MBA的「視野を広く、視点を多く、視座を高く」は同じこと?!
MBAスクールの初対面の後輩と話す機会があり、私自身のこれまでのキャリアや現状、方向性について質問を受けた。
「限定的な自分の認知で未来をがっちり決めつけてそこに向かうのではなく、出会いを大切に、運命を感じ、いろんなことを感謝を持って受け入れて生きて行きたい。」と伝えた。
抽象的でスピリチャルな内容なので、伝わらなくてもいいという気持ちで伝えたが、「分かります!MBAスクールに通い始めて、自分の世界がいかに狭かったかということに気づきました。」というコメントをもらった。
一瞬、少し違う話なのかなと思ったが、よくよく考えてみるとスピリチャルも現実もなくて、同じ話なのかもしれない。
一昨日メンターが話していた「自由意志は行動ではなく意識で起こる。」という話とも共通しているように思う。
生まれながらにして自分以外の意思の代弁をするさだめ?!
昨日、私に激怒しながら不快感を全力で伝えたメンター。数時間後には「ほとんど覚えていない。自分が怖い。」と言っていた。
この現象についても調べてみたが、メンターは「生まれながらにして自分以外の意思の代弁をする定めにあり、高級霊からのメッセージを伝達」しようとしているのかもしれない。
メッセージを伝えたい高級霊
高級霊の場合も、実は人に憑依する場合があります。何らかの必要なメッセージを伝えたい時に特定の人間に憑依します。
目的が達成されると憑依を解き、正常の状態に戻します。
メッセージの送り手は「霊」とは違うかもしれないし、私は「霊」が何なのか、「宇宙」とは違うものなのかなどについてはよく分からないが、「私の意識が変わることで大きな変化をもたらすことができる。そのためにどこかからメッセージがきているのかもしれない。」とは思う。今が変化のチャンスなのだろう。
「あなたは自分のことしか考えていない。自分のことばかり考えている。」
昨日メンターから「あなたは自分のことしか考えていない。自分のことばかり考えている」と言われた。
何事においても他者を最優先にすることはできていないが、自分のこと「しか」考えていないという認識を持っていなかったので、ショックだった。
無理に元気を出す必要もないので、このショックをよく分析してみようと思う。
私は自分のことしか考えていないのかもしれないし、そんなことはないのかもしれないし、よく分からない。
ただ注目すべきなのはそこではなくて、ショックに感じるのは「”私が””否定された”」という、私の認知なのかもしれない。
この関連の記事をインターネットで色々調べていたら、こんなブログを見つけた。
■批判された!!!どうすればいいんだ!/心の痛風の法則 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba
”
そして、どうしてそんなに必死に自己弁護、自己正当化するのか。
それは「自信がないから」です。
そう、自分の意見や考えに劣等感がある
(中略)
つまり、早く自分の劣等感をさらけ出してしまって
傷口を乾かせてしまいましょう。
その傷口、他人から見れば、
なーーーーーーーーーーーーーーーーんてことないことです。実は。
だから、さらしても大丈夫。
”
確かに、自分を一生懸命正当化しようとしているのかもしれない。そして、これまでも繰り返し出て来た「劣等感」というキーワード。
乗り越えたら世界を変えることができる壁は、これなのかもしれない。
相手は自分の鏡ではなく自分
相手の言動を表面的に受け取らず、なぜその言動になっているのか、相手のエゴや弱さがどう関係しているのか、それは私にとってどんな意味があるのか(宇宙からどんなメッセージが届いているのか)を感じ取っていきたい。
先日のLayセッションのクライアントの言動の事例から「何か」を気づきたい。
事例1)
先月、LayのHPが完成した際、既存クライアントAさんに、サービス利用者として集客をお願いしたことがあった。しかしAさんからの回答は「コーチにはお世話になっているのですが、10歳以上年下の女性にコーチングを受けているのを公開するのがちょっと恥ずかしく、どうやって紹介しようか考えています。」というものであった。
そんな折、昨日共通の友人Bさんより、Aさんを含む複数名と昨日勉強会としたとの連絡があった。その際、Aさんは私からコーチングを受けていることを皆に話し、コーチングを周囲にも進めていたとのこと。
事例2)
通常のセッションでは、毎回私に意見を求めるも、必ず最後は否定するということが繰り返されている。もし不満であったり、効果を感じなければいつでも辞めることができる状況であるが、半年以上受け続けている。
私が根本的にAさんの姿勢(やらない理由を並べ立てて動かない)に共感していないことがこの状況を呼んでいるのだろうか。。。?!